農場の歴史
里山農場の生い立ち
【要加筆修正】ここ数年の歴史の更新がない
2001年に農場を立ち上げてから、自分の興味がおもむくままに、走り続けてきました。
あまりに突っ走りすぎて大やけどを負い、正直もう農業を辞めようと思うほど、つらい時期もありました。そんなほろ苦い時期もありましたが、スタッフさんも来てくださるようになり、バイオガスシステムをつくろうと思っていた場所が、駐車場になりました。まだまだやんちゃぶりは残しながら、次の展開を探っていきます。今後ともよろしくお願いいたします。
里山農場の年表
2001年
7月、知り合いの方の紹介で、前の住まいの借家を紹介してもらう。11月、借家の契約ができ、岡山県御津町(現在岡山市北区御津)に引越す。12月、御津町役場、地元の農業委員の方のお世話で、約1.5ヘクタールの農地がまとまり有機農業をはじめる。屋号は山崎農場
2002年
5月、売り先の当てもないのに、たくさんの野菜が取れはじめる。地元の直売所、イベントなどに果敢に出店。皆様の紹介でお客さんが増え始める。野菜セット初出荷。10月、約5反の田んぼから初のお米の収穫。20世帯のお客様に定期的にお野菜をお届けできるようになり、初年度の農業生産の売上、予想以上の170万円。しかし機械の購入、資材代などがかさみ、もちろん赤字。
2003年
8月、約200羽の自然卵養鶏をはじめ、初の卵の収穫。少しづつではあるが、お客さんも増え、2年目で少しの黒字。
2004年
自家製味噌など加工品も試してみる。
2005年
小麦から黒うどん、にんじんから人参ジュースを委託加工開始。端境期の野菜の出荷をするため、ビニールハウスを建設。
2006年
堆肥舎を建設する。あぜ草を食べてもらうため、ヤギを飼い始めるが、脱走を繰り返し、近所の野菜畑を荒らすことが、しばしば、あえなく断念。農地3ヘクタール。
2007年
400坪の農地を購入し、自らユンボ、測量をしながら、埋め立て作業、農地転用の手続きを行う。ビニールハウス2号を建設。
2008年
購入した土地に鉄骨倉庫、育苗ハウス、自宅を建設。常時パートさんに来てもらうようになる。屋号を山崎農場から里山農場に変更。養蜂も試みるが、2回の病院送りの後、あきらめる。
2009年
融資を受けて農家せんべいを焼き始める。全国の農家さんからおせんべいの受託加工を行う。自然卵養鶏から一時撤退。
2010年
知り合いの方から牛をレンタルして、放牧を始める。農地も5.5ヘクタールまで拡大。手作り水飴キットの販売開始。委託加工でお酢も出来上がる。
2011年
草が多い時期は、おとなしい牛さんも、草が寂しくなる秋ごろから電気柵を乗り越えて、大脱走。現在休止中。ヤギさんに続き、家畜は現在トラウマ中。農地は6ヘクタールまで拡大。農業の6次産業化のはしりでした、おせんべいの加工事業も撤退。餅は餅屋に任せる。里山農場は、生産に特化することを決意しました。
2013年
3泊8日の強行日程で、12年ぶりのアフリカの大地に降り立つ。自分の実力のなさを再認識、里山農場で出直しする。新堆肥舎が完成し、良質堆肥の安定供給の目途が立つ。出荷管理、生産情報共有で、農作業のIT化が加速。
2014年
条件の悪い耕作放棄地に、数年後の梅の生産を夢見て、梅の苗木を77本植え付け。もうこの村と心中するかも。集落の農地40% 約7ヘクタールを管理。細かい水管理ができるように、各畑に10本の井戸を掘る。
2015年
家族のあるスタッフさんを2人雇用することになり、ブラックを通り越した勤務形態にメスをいれはじめる。自分も体調不良、事故が重なり、働き方を見つめ直す。
2016年
追記
2017年
追記
2018年
追記
2019年
追記
2020年
追記